デイヴィッド・ベネター(David Benatar, 1966年12月8日 - )は生命倫理を専門とする倫理学者・哲学者。南アフリカケープタウン大学哲学科教授。
著書 "Better Never to Have Been : The Harm of Coming Into Existence" (『生まれてこない方が良い: 存在し始めるという災難』)で展開した反出生主義(Antinatalism)の擁護で最もよく知られている。
生まれてくることはその本人にとって、常に災難であり、それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、子供は生むべきではない、と主張する。
子供を生むことは、多くの動物がそうしているように単に何も考えずに性的欲求を満たすための行動である性行為の結果として引き起こされている現象であるか、または生む側の欲求を満たすために引き起こされている現象であるか(例えば子育てしてみたいといった欲求を満たすため、自分の老後の世話をしてもらおうという計算の為)、または判断するさいに生の質(QOL)を不当に高く誤評価していること(ポリアンナ効果)から起きている現象である、とする。
ベネターはチャイルド・フリーのような立場と自身の立場をはっきりと区別する。チャイルド・フリーのような考え方は、自分のライフスタイルを維持することを考えて子供を持たないという立場を取るが、ベネターは親の都合ではなく、生まれてくる人間の観点に立って、その上で生むべきではない、と主張する。
つまり生まないことは、多くの人に取ってはある種の我慢が必要な事ではあるが、生まれてくる人間のことを少しでも真剣に考えるのならば、子供は生まずに我慢すべきだ、とする。
ベネターは人口爆発の問題について言及している。ベネターは地球上の理想の人口はゼロであるとしている。つまり人間は絶滅した方がよい、と主張している。
とはいえ即座に人類絶滅を目指すのは生まれてきてしまった人たちにとって大きい苦痛を伴うものとなるであろうから、少しずつ段階的に人口を減らしていき、最終的に絶滅する、つまりゆるやかに絶滅していくのが良いだろう、としている。
ああ^~いいっすね^~。「生まれて来ない方が良い」と言う発想が当たり前にできる西洋社会は素敵だ。
未だに「産めよ増やせよ」でウィルスの様に増殖する事しか頭にない日本だったら、こんな"危険思想"は持つ事すら許されない。デイヴィッド・ベネターの哲学書を公に出版するなんて不可能だ。
そりゃよっぽど金持ちだったり親が美男美女同士で愛し合ってて心底幸せだったりするなら子供を作っても良いけど、自分自身が人生で苦労の方が多く、あまり幸せでないと感じるなら子供も同じ苦労をする可能性が高いのだから子孫なんて残さない方が良いだろ。
年取って中年にもなると人生飽きるし。何も楽しみがない。どんなに面白い映画でも何百本も見れば飽きる。ネットも10年以上やってればさすがに飽きた。もう飽き飽きだ。
日本人の8割くらいは「金とセックス」にしか興味がない様な人間ばかりだし、楽しそうにも見えない。ぶっちゃけ生きてる意味あるの?
日本では働いていない人間は「生きてる価値がない」と見なされる。働かなければ生きていけないのです。
労働を強要する残酷な社会に子供を産み落とすな!良い迷惑だよ(´;ω;`)
「働かなくても生きていける」社会になるまで、我々は子作りをボイコットすべきです!
「子供を作らない」事こそ最高に文化的な行為。シンガポールや香港・台湾など日本より豊かでIQの高いアジアの国では日本以上に少子化が進んでいる。
野蛮人ほど子供が多い。子作りなんて親のエゴだ。理性でもってこの「負の連鎖」を断たねばならない。
元々日本は人口が多い多いと言われているあの中国よりも人口密度が高い国なのです。日本に資源がないなんて嘘。人口が多いから資源が足りないだけ。
日本の適正人口は2〜3000万人程度。そのくらいの人口であれば広大な海洋資源もあるし石油以外は何でも自給自足してのんびり暮らせる国になる。
本当は日本も中国をみならって一人っ子政策を導入するべきなんだ。少子化が問題だなんてとんでもない。あれは人口が減ると困る産業界に配慮して言ってるだけのステマです。
沢山子供を作ったらどんな金持ちでも家計が破綻して損をするのだから「なるべく子供を作らない」のが個人の選択としてはベスト。
少子化で将来的には介護職の人材が不足するとも言われているが、老人の尻拭いをさせる為に子供を作るのですか?自分のケツくらい自分で拭けよ!
日本人は子育ても下手。日本人のガキなんてどうせロクな人間に育たない。保育園に子供を預けて税金使って子育てしようとする親はそもそも子供を作るべきじゃない。
子供なんて産んでも最低20年くらいはただの穀潰しだし教育に税金もかかる。受益者負担で子供のいる家庭にこそもっと税金払わせるべきだ!!
【追記】
ベネターの翻訳本が日本でも出版されたそうです。たまげたなぁ。
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うつが酷いと体の具合も悪くなるね。マジで脳に穴があきそうなくらい辛い。
実際うつになると脳が萎縮するそうだし、何だかお腹も痛くなってきた。文字だと深刻さがあまり伝わらないのが悔しいwww
このままだとストレスで免疫力が下がってガンになるんじゃないか?って心配になるわ。
PTSDのフラッシュバックも地獄の苦しみだったが、鬱も重度になると同じくらいに地獄だな。
何もかも投げ出して楽になってしまいたくもなるけど、親を残して先に逝くわけにはいかない。
俺が死んだら母ちゃんはどうなるの?ママンの老後を一人にはさせられないよ (´;ω;`)ブワッ
子供に先立たれた親の嘆き悲しみぶりは半端じゃない。「親より先に死なない」と言うのは子としての最低限の務めだ。
それすら破れば最早ヒトですらなくなる・・・!人間失格である。
死ぬのは人生最後の楽しみに取っておけば良い。両親が天寿を全うするまでは何としてでも生きるべきだ。
親が死んだ後は何をするのも完全に自由。海外に移住しても良いし、憎いアンチクショウの顔めがけ玉と散るも良し。
まだ見てない映画もいっぱいあるしシン・ヱヴァも見なきゃだし、ハンターハンターが完結するまでは死ぬわけにはいかないな。後20年くらい?www
よくよく考えたら今の時代には未知の娯楽が消費しきれないほどあるのだから、急いで死ぬ事もあるまい。
※ただし両親共クズの場合は親を気にかけなくて良いと思う。
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性善説と性悪説、どちらが正しいのかは分からない。だが人が罪を犯さずに生きる事は不可能だ。
善人でも知らず知らずに罪を犯すのだから、生きている人間は皆、罪人なのだ。
そこで性根とは関係なく「生きる事は悪」と言う意味の生悪説を提唱したい。
肉食は罪
動物を殺して食べるのも非倫理的な行いの一つ。一度も肉を食べたことのない人間はほとんどいない筈。家畜だって苦痛を感じるのだから動物を殺すのが罪でない筈がない。
しかし肉食を完全に止めるのは難しい。罪を背負ってでもある程度は仕方がない。
ベジタリアンになったとしても人は罪から逃れられる訳ではない。人間が普通に生活するだけで環境には様々な負荷がかかっているのだから。
トロッコ問題と偽善
トロッコ問題では「一人を犠牲にして5人を助ける」回答をする人間が多数派だが、それは明確な殺人行為だ。なぜこんな時だけ人を殺してまで英雄的行動を取ろうとするのか?
貧困・飢餓・難民等々、我々の世界は常に助けを必要としている人間で溢れ返っている。それらの人々を日々見殺しにしながら生活を送っているのに、その罪を自覚せずに何か善い事をしようとしても偽善にしかならない。
例えば事故で大勢の人間が生き埋めになっている現場で救助もせずに飲めや歌えのドンチャン騒ぎをするのは誰だって不謹慎と思うだろう。
では10メートル離れた場所なら良いのか?100メートルなら?1万Km離れれば許されるのか?
結局、我々は助けられる人間を助けようともせず自分たちだけ幸せな生活を送ろうとしているエゴイストなのだ。生きるに値する人間なんていないだろう。
死ぬのも悪
生まれつきの極悪人でもなければ積極的に罪を犯したいとは誰も考えてはいない。生まれてきてしまったら罪を犯さずにはいられないだけなのだ。
かと言って罪から逃れる為に死ぬのも悪である。生きる罪は死では贖えない。
自然死でさえ関係者にとっては大きな迷惑なのだ。まして自殺などよほどの事情がなければ殺人に等しい重罪である。
死んだからといって罪が消えるわけではない。罪人は死んでも罪人のままだ。
反出生主義こそ大正義
狩人だって動物を殺してまで生きたいと本当に思っているのだろうか?生まれてこなければそんな事をする必要はなかった。
生きる事による罪は新たに人間を生み出さない事によって相殺できる。反出生主義は贖罪なのだ。
死ぬのではなく生きて反出生主義を全力で広めるべきだ。その為になら生きる価値がある。生きろ!!
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人間が生きているのは「生存本能」があるからだ。できるだけ生き延びようとする本能に従って生きているに過ぎない。生命が進化によってそのような本能を獲得した。
人間に心や感情があるのも進化で説明がつく。要するに感情がある方が生存に有利だった。ただそれだけの事だろう。
この世に魂もなく、神もなく、意志や行動も遺伝子の影響を受けるなら、人間は機械と何ら変わらないのではないか?
リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子(旧題『生物=生存機械論』)』で人間を生き残ろうとする機械"サヴァイバル・マシン"であると定義したそうだが、利己的遺伝子という考え方だと どうしてもそういう結論に至ってしまうのだろう。
しかし人間をただの機械だと考えると人生が無味乾燥でとてもつまらなく思えてくるw
利己的遺伝子は生存に有利な行動を「快」不利だと「不快」に感じるようにして我々の行動をコントロールしている。
「生殖なんてくだらない」と頭ではわかっていても、結局楽しく生きるには遺伝子の思惑通りに動くしかないっていう。。。
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ストレスと友達になる方法 : TED
オキシトシンは友達や家族との触れ合いを求めさせます。共感を強め、大切な人たちを支え助けたい気持ちにさせます。オキシトシンをみんな吸引すべきだと言う人さえいます。もっと優しくなって思いやりを持てるように。
でも多くの人が理解していないのは、オキシトシンがストレスホルモンだということです。
ストレス反応として脳下垂体がオキシトシンを放出するんです。これはアドレナリンが心臓の鼓動を速くするのと同様のストレス反応です。
そしてオキシトシンがストレス反応として放出されると、人の支えを求めたくなるんです。
なるほど。愛情ホルモンとも呼ばれるオキシトシンは本当はストレスホルモンでもあったのか。
愛が喜びと共に苦しみも強めるのはこのストレスホルモンのせいかも知れない。
他にもオキシトシンには「未来に感じるストレス」を増幅させたり攻撃性を高めるなどのダークサイドがある。
「愛する」がゆえに人は苦しむのです(`・ω・´)
光が強ければ闇も濃くなる様に、深く愛するほど苦悩する。
『ヴィンランド・サガ』には「愛とは差別です」と書いてある。誰かを愛して優遇するのは別の誰かを冷遇する事だ。
愛国心が民族差別に繋がったりもする。博愛主義ならばともかく偏愛は偏食と同じであまり良ろしくない。
愛はランナーズ・ハイに似ている。肉体が苦痛を和らげる為に脳内麻薬を分泌し、ハイになっている状態。
確かに気持ちが良いのだろうけど、走る事による肉体的負担も大きい。
短距離なら快楽が上回ってもマラソンの様に長距離だと殆ど苦痛しか感じられなくなる。人生は長い。どちらかと言えばマラソンに近い。
『北斗の拳』
愛によって人は苦しむが、かと言って誰も愛さない人生など生きるに値しない。
一切皆苦。やはり生まれてこないに超した事はないのです。
恋をしたことはあるかい?ひどいものだろう?とても傷つきやすくなる。胸を開き心を開き、そして誰かが中に入り込みめちゃくちゃになるんだ。
それまで防壁を築きあげ、よろいかぶとを装着し、誰も自分を傷つける事が出来ない状態だったのに、たった一人の愚かで他の誰とも何も違わないヤツを自分の人生に入り込ませるなんて自分の一部を与えるようなものだ。
誰もねだられたわけではない。ただキスとか笑顔とか、とるに足らないことをしただけだ。
それでも自分の人生は自分のものじゃなくなる。愛が人質を取るんだ。 自分の中に入り込んできて食い散らかし、暗闇に放り出されて泣くことになる。
想像だけではなく実際に傷つき、それは心だけでなく精神的な痛みだ。 体中を引き裂く痛みだ。愛が嫌いだ。
- ニール・ゲイマン
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「この世に悲惨も死も存在せず、ただ喜びだけを心から信じられるならば、祈らずにはいられない。この刻(とき)が永遠に続けと......」
出典:ディスティ・ノヴァの台詞「銃夢9巻 ザレム征服」より
※熱力学第二法則...エントロピー増大の法則。ほうっておくと熱いお茶はさめるが、その逆はないという経験則。この考えをつきとめると、宇宙はしまいにはさめきって、星も時間もない「熱的死」をむかえる事になる。
ほんとこれ。世界が非情、無常なのはエントロピーが増大していくからだ。これは宇宙の絶対法則なので抗う事などできない。
風呂が冷める様にエネルギーが失われていくから、スクラップ&ビルドを繰り返さなければ現状維持さえままならない。
永遠を望んでも「エントロピー増大」と言う不可塑の変化によって一秒前に戻る事さえできない。
若者には理解できないかも知れないが、幸せな時間も長続きはせず年を取ると人間は劣化し段々と壊れて最後には死ぬ。
遺伝子すら生きてる間に変化して癌細胞を生み出したりもする。
「変化しない」のは不可能であり、それが何もかもを台無しにしていく。
永久機関も熱力学によって否定されている。世界の全ては、やがてエネルギーを失い死を迎える。
生命や文明などの「秩序」は崩壊し「カオス」へと向かう。それが世界の宿命なのです。
永遠不変の物はない。与えられたもの、手に入れたもの全てが失われる。人生はその過程に過ぎない。
パンドラの箱を開けた様に滅びの宿命を知るのも不幸だし知らないのも不幸だ。
この残酷な世界においては子孫を残さずに早めに滅亡する事こそが正義なのでしょう。
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